人と人を「きよる」南伊豆町役場の山口さんって一体何者!?

こんにちは!
フリーランスクリエイターのたつきです!

僕については下の記事に詳しく書いてありますので、興味があれば併せてご覧ください!

参考:新卒フリーランスが南伊豆でワーケーションをはじめます!

南伊豆町にサテライトオフィス進出をしている、私たち「SENA株式会社」をはじめ、南伊豆に関わる人がどんな日常を過ごしているのかをインタビュー形式でご紹介しています!

今回は、そんな私たちが普段から活動の場として利用している「きよりやのオーナー山口さんをインタビューしました!

普段は南伊豆町役場に勤める山口さんだからこそ感じる南伊豆町についてもお聞きしましたよ〜!

第1弾はこれまでの山口さんについてご紹介します。

 

①南伊豆町役場の山口さんについて

ー早速ですが、山口さんと南伊豆町との関わりについて聞かせてください!出身は南伊豆町ですか?

そうです。生まれも育ちも南伊豆町。

下田の高校を卒業後は南伊豆町役場に就職をしました。

最初は税とか福祉関係の部署に配属され、基礎的な要素を学びつつ業務にあたっていました。

現在配属されている地方創生室にきたのは平成26年。

「地方創生」が日本全体で一つのキーワードになったこの頃、南伊豆町にも地方創生室ができました。

私は、初期からここに関わっていますね。

ーずっと南伊豆町と関わっているんですね。実際の業務はどのような内容ですか?

主な業務は政策の立案や調整、計画策定などをしています。

共通しているのは地方創生に当てはまっていること。    

国の言う地方創生は、人口減少の抑制や東京一極集中からの脱却。

これを解決するために街が元気になるような政策を考えています。

 

②南伊豆町民山口さんの取り組み

ー南伊豆町民としての山口さんについても教えてください!現在はどんな取り組みをなされていますか?

きよりやというコミュニティスペースの運営やゲストハウスの運営、イベントの開催などをやっています。

ーきました「きよりや」!僕もいつも利用させてもらっています。「きよりや」はいつ頃から運営されているのですか?

仕事と子育て中心に動いていたので、こうした動きになったのは地方創生に携わるようになった頃。

ちょうど、子供の手が少し離れるようになったタイミングでもありました。

そんな時に、たまたま商店街に空き物件があるという情報を手に入れたのが始まりでした。

その空き物件は南伊豆町では比較的賑わっている下賀茂商店街に位置していました。

とはいえ、その商店街もシャッター街と化している状況。

そのシャッターを開けるのもひとつの地方創生の分野だからこそ携わるようになっていったのです。

しかし、元商店には住居人がいる場合もあり、シャッターを開けるというのは困難を極めました。

そんなこんなで悩んでいるときに新たに舞い込んできた完全に空いている物件。

不動産屋さんがその物件を引き取ったのですが、事業内容的にシャッターを開けるという目的には繋がらなさそうだった。

だったら自分たちで!と仲間と共にその物件を手に入れ、プロジェクトがスタートしたのです。

これが今の「きよりや」につながっています。

自分たちでリフォームをし、クラファン にも挑戦しました。

ーそんなストーリーがあったとは……。現在はひとりで運営をしていますが以前は仲間と共に活動していたんですね!

そうですね。もうひとつのおきな転換期としてはやはりコロナの影響ですね。

2021年の6月頃までは、事業主ではなく代表を別に立てた上で事務的な動きで関わっていました。

最初は仲間内で運営費を出し合っていましたが、それぞれの活動があるため、徐々に私ひとりで動くように。

そんな時にたまたま移住してきた方がうどんの「製麺」をしたい!といってきたのです。だったら使えるようにしようと動いたのが今の動きのきっかけのひとつになっています。

そこからレンタルオフィスやシェアオフィスとして機能させるようになっていきました。

その後は1年くらいでマイナスにならないように運営できるようになっていったんです。

でも、もっと人が集まるようにしたいなと。

そこで、持続化補助金をうまく活用してみんなが飲食ができるようにキッチンを作ろうと考えました。

そのためには個人事業主になるのが条件だったのです。

これを機に役場の人間としての顔も持ちながら兼業の許可をもらって運営をするというスタイルが確立しました。

ーなるほど。奥が深い。「きよりや」を人が集まる場所にしたいというのが伝わってきます。

ありがとうございます。

ですが、根底には地方創生という仕事で政策や事業を立案しても、「誰がやるの?」という問題が出てくるんですよ。

やってくれる人をなんとかして探すよりもプレイヤーとして動こうと思ったのも今の動きの特徴ですね。

時間的にも精神的にも余裕がないところに行政が踏み込んでいっても難しいんです。

保証もできない状況で無理してプレーヤーとして動いてもらうのはなかなか難しい。

だからこそ最終的に自分がプレーヤーになることを選びました。

 

③最後に

今回は、山口さんのこれまでと、現在の活動についてお聞きしました。

これだけでも面白いのにまだまだ伝えたいことがたくさんあるのです。

第2弾では、山口さんのその他の動きと今後の展望についてお聞きしたいと思います!

次回もお楽しみに!

フリーランスクリエイター:マツハシ タツキ

 

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